「はぁ・・・・」

まだ雰囲気が慣れない娼妓の大部屋で、キラはそっとため息をついた。

イザークとつながったことに対する体の負担は徐々に薄れ来ているものの、やはりまだ体が重いような気がする。

でも、キラの元気がないのは、それだけが理由ではなかった。

 

あと、一時間・・・。

 

キラは壁時計を見て、もう一度ため息をついた。

過ぎていく時間を思うたび、キラの気分は重くなっていく。

あと一時間もすれば、店が開く。

そうなれば、娼妓であるキラは店にでて、客を取らねばならないのだ。

 

怖い・・・と、思う。

 

昨日のような知らない人がまた来たらどうしよう。今度はタイミングよくイザークが来てくれるとは限らないのだから。

「そろそろ時間ね」

「ええ。店に出ましょうか」

と、誰かの言葉をきっかけに次々と部屋から人が出て行く。

みんな、自分の思うまま、綺麗に着飾っていく。

必死なのだ。

誰かの寵愛を受けるために、自分の存在する意味を見つけるために。

キラは服の隠しに入れてあったリングをそっと握った。

今朝分かれた後、部屋の中に落ちていたシルバーのリング。

それには見覚えがあった。

イザークが自分を抱きしめ、髪を梳いてくれ優しい手に光っていたのを覚えている。

次に会えたら、渡そう。

そう決めて、いつでも側において置けるように目立たない服の隠しポケットに忍ばせた。

本当は店主にでも言ってイザークに返してもらうなりしたほうがいいのかもしれないが、なぜかキラは少しでも長くそれを持っていたかった。

安心できると思ったからかもしれない。

何か、イザークのものが側にあると思うだけで、ほっとできた。

大丈夫だと・・・これから何があっても耐えられると思うことができた。

 

きっと、大丈夫。

今日何があっても大丈夫。

 

「なんだ、まだここにいたのか」

と、そのとき大部屋の入り口に店主が入ってきた。

はっと顔を上げたキラが周りを見回すと、キラ以外の娼妓はすべて店へと出て行ったようで、部屋の中にはキラだけが取り残されていた。

「ご、ごめんなさい。すぐに・・・」

「ああ。荷物はもうまとめることができたのか?」

「・・・・荷物?」

きょとんとした表情で見るキラに、今度は店主のほうが驚いた表情を見せた。

「聞いていないのか?」

「え・・・何をですか?」

「ジュールさまからだが・・・、聞いてないのか?」

「イザークさま?」

何か、イザークに言われただろうか。

本当にキラが何も聞かされてないと知ると、店主は説明する気もないのか、キラにすぐ荷物をまとめるように言った。

もともと、この部屋に移って間もないキラは、ほとんど荷物らしいものはなかった。

着替えと、娼妓になったときに与えられた化粧道具。そして、少量のマリューの肩身。

キラの準備が整うと、店主はキラを引き連れて歩き出した。

 

 

 

しばらく歩いていくと、店主は一般の娼妓には立ち入りが許されていない場所へと進んでいった。

キラは少々躊躇しながらも、その後に続いていく。

そのまま進むと、なにやら大きな部屋の中から声が漏れ聞こえてきた。

この時間帯はみんなすでに店に出ているはずなのに、声からするとかなり多くの娼妓がこの部屋の中にいるようだ。

キラもてっきりここに連れてこられたのかと思っていたが、店主はその部屋の前を通り過ぎて、そのまた奥へと進んでいった。

キラが通されたのは、かなり上質の家具や飾りなどに調えられている個室だった。

「今日からここがお前の部屋だ」

「え?」

広い、というほど広くもない部屋だが、一人、二人が生活するには十分なスペースがある。

でも、娼妓はたいていが大部屋を使っている。

まぁ確かにベテランともなれば個室を与えられている者もいたと思うが、それでもなぜ娼妓になって間もない自分がこのような部屋を与えられるのか。

 

 

荷物を置いたキラを、店主は先ほど前を通った大きな部屋へとつれてきた。

「今日からここの一員となるキラだ。日が浅いから何かと面倒を見てやってくれ」

『は〜い』

と、部屋の中にいる娼妓たちから声が上がる。

その雰囲気に、キラは少しばかり驚いた。

大部屋にいたときは、同じ娼妓であってもかなり剣呑とした雰囲気が漂っていた。

だが、ここにいる人たちはみんな中がよさそうで、部屋のあちこちでゲームなどをして共に遊んでいたり、楽しく話をしている。

キラを部屋の中に入れると、店主は早々に部屋から出て行った。

「いらっしゃい。あなたは誰の専属になったの?」

「えっと・・・」

「わ〜、綺麗な肌。うらやましいわ」

「ホントね。やっぱり若いっていいわ〜」

「あらやだ、あなただって若いじゃない」

そういってキラを中心にくすくすを笑う娼妓たちに、キラは正直どうしていいかわからなかった。

そんなキラに助け舟をだしてくれたのは、キラにとってとても懐かしい人だった。

「ほらほら、キラが面食らっちゃってるわよ。とりあえず私がここのことを教えるから」

『は〜い』

そういって、娼妓たちは各自、先ほどまで自分がいた場所へと戻ってそれぞれの続きをはじめた。

キラはといえば、目の前に現れた人物に相当驚いているようだ。

「久しぶりね、キラ」

「・・・・ミリー・・・、ミリアリア、なの?」

「あら、私が他の誰に見えるって言うの?」

そういってコロコロと笑うのは、確かにミリアリアだった。

キラがここに、マリューのところに引き取られたばかりのとき、一緒の遊んでくれていた人。

最後にあったのは、確かマリューの葬儀の時以来だ。

「あなたがここにいるなんて、正直驚いているけど・・・とりあえず詳しい話をしましょう」

そういってキラの手を取ると、ミリアリアは自分の部屋へと戻った。

周りから好奇の目がちらちらと向けられていては、落ち着いて話ができる状態にもならないだろう。

 

 

部屋に戻った2人はとりあえず座って落ち着いた。

その後、ミリアリアはマリューが亡くなったあと、キラがどういう風にすごしてきたのかを聞き出した。

キラは、今までの思いをすべて吐き出すかのように、すべてを話した。

時々つらかったことを話すとき、涙があふれそうになるのを、ミリアリアはそっとぬぐってくれる。

「私が側にいてあげられたらよかったのに。ごめんね、キラ」

「ううん、ミリーのせいじゃない。でも、どうして僕はここに連れてこられたんだろう。いきなり店主が荷物まとめてって言って、僕の部屋っていうところに通されたんだ」

「う〜ん、キラはここがどんなところかは知っている?」

首を横に振るキラに、ミリアリアは本当に何もわからずにここにつれてこられたんだと知る。

「簡単に言うと、ここは娼妓は娼妓でも、専属娼妓たちが住む、いわばこの店の別館みたいなところなの」

「専属娼妓?」

「たくさんの人を相手にするんじゃなくて、一人の人のお相手をする娼妓のことよ。お客さんに請われて専属娼妓になる。いわば、一人の人の寵愛を受けるということよ。ここにいる人たちはみんな一人の人だけに仕える娼妓なの」

「ミリーも、誰かそういう人がいるの?」

「一応ね・・・。あんまり頼りにならないんだけど」

そういう、人から見たらかわいくないと思える発言も、ミリアリアの正確を知っている者ならば、その相手にかなりの好意があるというのがわかる。

それに、今のミリアリアの表情はとても幸せそうだ。

「でも、ここに来るには契約者と娼妓の同意がいるはずよね。それなのにキラは何も聞かされていない。相手は誰だかわかるの?」

「・・・・・わからない」

そう。

今のミリアリアの言葉を聞いて、キラはまったくわからなかった。

なぜなら、キラを専属娼妓にするような客を、キラはしらない。

娼妓になって日も浅く、娼妓らしいことを何一つしていなかったのに。

そんなキラを、誰が専属娼妓に、と望むのだろうか。

「一番可能性が高いのは、やっぱりジュールさまよね」

「え!?」

「だってキラ、あのイザーク・ジュールの相手をしたんでしょ?」

コクリとうなづくが、キラはそれはありえないと思っていた。

「どうして違うって思うの?」

「だって・・・、ジュールさまはかっこいいもん。僕なんか、ぜんぜんつりあわないし」

そんなせりふを聞いて、ミリアリアは心の中でため息をついた。

どうして、この子はこんなに自覚がないのだろうか。

磨きあげれば光り輝くような宝石の原石であるくせに。

マリューと自分はそれを見抜いたからこそ、他の物を近寄らせないように昔から守ってきたというのに。

これはやはり、直接相手を見せて、イザークから一言言ってもらうのが一番なのかもしれない。

イザークの人と也は、ミリアリアが専属となっているディアッカからよく聞いている。

噂とは一つ変わったイザークをミリアリアも間接的ながら知っているつもりだ。

「とにかく、誰が相手かはそのうちわかるわよ。相手が嫌だったら専属を止めればいいのだし」

「止めるって・・・、無理じゃない?」

「そんなことないわよ。専属は娼妓にも拒否権を与えられているの。昔、無理やり専属娼妓をやらされた娼妓が一人、自害を図ったことがあったらしくてね。それでできたのよ」

「そう・・・なんだ」

「そうよ。だから、あの部屋にいた娼妓たちもみんな表情が明るかったでしょう?あれはみんな幸せだから。大部屋にいる、誰にも負けないという娼妓たちとはどこか違っていたでしょう?」

それはそうだ。

あの嫌な雰囲気が、ここにはない。

そうか、あれは、みんなが幸せだったからなのか。

一人の人を思うことを、幸せだと思える人たちだから。

 

そのとき、店が開く合図の鐘が鳴り響いた。

キラの体がびくっと震える。

この鐘は嫌いだ。

これから、自分がどうなるかわからないのだから。

「さてと、それじゃキラは部屋に戻りなさい」

「え?」

「専属娼妓は、自分の部屋で相手を迎えるの。もっとも、相手が来ないと分かっている時は遊戯室・・・さっきのみんながいた部屋にいることもできるけどね」

「そうなの?」

「ええ。大丈夫、何かあったらこの部屋に逃げ込んできなさいな。ちゃんと守ってあげるから」

「でも、ミリーも相手の人、来るでしょ?」

「大丈夫よ、あいつぐらい。ていうか、結構腕が立つから役にも立つだろうしね」

だから、がんばってみなさい。

そういわれて、キラは不安になりながらもミリアリアの部屋を出て自室へと向かった。




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