「そういや、聞いたか?イザーク」 「何をだ?」 自室でその日の復習に取り掛かっていたイザークに、同室のディアッカが声をかける。 こちらはイザークとは正反対で、ベッドの上に転がりながら雑誌を広げて何気なく眺めていた。 「アスランの噂だよ、噂」 「アスランの?」 アスラン、と聞いた途端イザークの表情が険しくなる。 イザークのアスランに対する対抗意識はかなりのものであり、そのことを知っているディアッカもよくからかいのネタにしている。 あくまで、イザークが爆発する頃合を見極めて、だが。 「そ。知ってる?」 「・・・さっさと話せ」 焦らしたような口調で話すディアッカに、イザークは勉強机の椅子から立ち上がり自分のベッドに腰を下ろした。 「それがさ、保険医の先生からの情報なんだけどな」 「・・・おまえ、かりにも教師にまで手を広げているのか?」 「広く浅く、年齢層はこだわらないから。あ、でも年下には興味ねぇよ?」 「そんなことはいい。で?」 「なんでも、あのアスランがどうやら不眠症にかかっているらしいんだ」 「不眠症?」 反射的に聞き返すと、ディアッカもまじめに話す気になったのか体を起こしてイザークの方を見る。 「2ヶ月前ぐらいかららしいけど、アスランが医務室に何度か睡眠薬を取りに来るらしいんだ。診察を進めるらしいけどその必要はないって断るんだと。まったく、優等生は何考えているかわかんないね〜」 アスランのことを小ばかにしたような口調で言うディアッカ。 てっきり、イザークもアスランを馬鹿にしてくるだろうと思ったのに、罵倒することをせずになにやら考えこむかのようにあごに手を当てている。 「どうかしたか?」 「いや・・・」 不意に立ち上がったイザークは、クローゼットを開けると一番手前にあった自分のヴァイオリンケースを持つ。 「気晴らしか?」 「ああ。すまないがしばらく出てくる」 そう言ってイザークはそのまま部屋の外へと出て行った。 「いってらっさい」 ディアッカはそんなイザークを静かに見送った。
普段誰も来ることのない、アカデミーの裏庭。 そこは、イザークがこのアカデミー内で落ち着ける数少ない場所のひとつだった。 裏庭の少し細い道を歩いていくと、少し小さいが広場のようになっている場所がある。 イザークはそこで立ち止まりヴァイオリンケースを開けると、おもむろに曲を奏で始める。 日々の生活の中で、どうしても息苦しくなるときがある。 そんな時、イザークはここに来てヴァイオリンの音色に自分の気持ちを預け、一身腐乱に演奏をする。 だが、今日は今ひとつ集中しきれずにいた。 原因は分かってる。先ほど聞いた、アスランの不眠症。 その言葉は、少なくともイザークにとっては他人事ですませることができるものではなかった。 なぜなら、イザーク自身もかつて、不眠症に悩んだ時期があったからだ。 アスランと同じく、このアカデミーに入ってトップを取り続け、誰よりも優秀であらねばならぬと自分に言い聞かせていたとき。 なにものにも油断してはならない、自分はやらなければならないと日々気を抜くことはできなかった。 自分でも意識していないところで、やはり無理が重なったのだろう。 いつからか、イザークは眠ることができなくなり、そんな弱い自分を認めるのが嫌だった。 こんなことになるのは自分が未熟だからなんだと思い込み、さらに自分を磨き上げることに余念をなくした。 だが、それが結果的に悪かったのか、イザークはさらに自分を追い込むことになり、次第に睡眠不足による禁断症状とも呼べる異常が体に見受けられるようになる。 どこからかその情報を手に入れただろうエザリアから、一つのものがおくられてきた。 それは、このアカデミーに入ってくるときに家に置いてきた、今まさに奏でているこのヴァイオリン。 何事にも手をぬかず、ある程度極めればそれで興味をなくすということを繰り返してきたイザークにとって、ヴァイオリンは今でも続けている趣味のようなものだった。 最初、エザリアがなぜこんなものを送ってきたのかが、わからなかった。 自分はこれから戦場に向かい、戦いの場にでる。 そのための勉強をしている今、こんなものは必要がないと思う。 だが、ケースから出して手を触れると、思いもよらぬ懐かしさとその手に今もしっくりとなじむヴァイオリンの感覚に、イザークは一瞬われを忘れた。 気が付けば、一身腐乱にヴァイオリンを奏でていたのである。 その優しい音色は、イザークの心の中に凝り固まったものを溶かすかのようにイザークの心に浸透し、気が付けばイザークはヴァイオリンを片手に持ったまま、深い眠りへと落ちていた。 今なら、なぜあのとき母がこのヴァイオリンを送ったきたのかわかる。 無理をせず、自分らしさを忘れずに。 このヴァイオリンを奏でていたころの心をなくすな・・と。 そういう意味だと思った。 とそのとき、イザークの背後に近づいてくる一人の気配をイザークは敏感に感じ取った。 アカデミーの生徒でここに近づいてくるものはいない。 この庭の管理人とも言うべきアカデミーの警備員は、以前からイザークがここに通っていることをしっているため、無為に近づいてくるようなことはない。 それに、気配が違った。 知っているけど、よく知らない気配。 イザークはちらっとそちらの方を盗み見ると、そこにはこの場の入り口に立ち止まり呆然と自分の方を見つめているアスランの姿があった。
アスラン、なぜここに・・・。
そうは思いながらも、イザークは演奏の手を止めようとは思わなかった。 なぜなら、アスランは故意にかは知らないが気配を消して近くの木の根元に腰かけたのが分かったからだ。
自分のこの演奏を聴いているのか?
何も口を挟んでこないところを見ると、やはりそうらしい。
それからしばらく演奏を続け、3曲を過ぎたところで後ろを振り返ると、意外な事にアスランはまだその場にとどまっていた。 完全に気配が消えていたから、てっきりもう居なくなっているものとばかり思っていたのだが。 だがそのアスランの様子を見て、またしてもイザークは眉をひそめる結果となった。
なんだ、寝ているじゃないか。
自分の演奏を聞きながら眠ってしまったアスランにふと腹ただしい思いにかられるが、そういえばニコルもアスランをピアノのコンサートに招待するといつも眠ってしまうとあきらめたようにつぶやいたのを聞いたことがあると思い出した。 アスランはヴァイオリンケースのすぐ横の木によりかかって眠っているため、イザークはそちらにゆっくりと近づいていく。 仮にもこれから軍人になろうという人間が、こうも鈍感でいいものなのだろうか。 それに、やはりディアッカの情報が間違っていただろうことに気づく。 不眠症の人間が、こんな野外で人の気配も察知せずに眠り続けることなどできないだろうから。 イザークはアスランの存在をそのまま無視すると、ヴァイオリンをケースの中に丁寧にしまい始めた。 ふと、アスランの手に握られている小さな紙袋に気づく。 「これは・・・」 そっとそれを手にとって見ると、それは医務室で支給される薬の袋だった。 中を覗くと、そこには数日分の白い錠剤が入っているだけだった。 だが、イザークにはそれが何か見覚えがあった。数年前まで自分が使っていたものと同じ睡眠薬だったからだ。 「それじゃ、本当に・・・」 今、どうしてアスランがこんなに安らかにぐっすりと眠っているのかはわからない。 だが、眠れないという情報も、あながち間違っては居ないようだ。 最初は蹴飛ばしてでも起こして嫌味の一つでも言ってやろうかと思っていたのだが、やめた。 久しぶりに訪れた睡眠ならば、そのまま眠らせておいてやりたい。 「・・ん・・・・」 「起きたのか?」 小さく洩れた声に起こしてしまったかと危惧したが、アスランの目はいまだに開かれることはなかった。 しかし、その体は大きく前に倒れそうになる。 「おっと」 反射的に受け止めてしまったイザーク。 だが、それによってイザークは動くことができなくなってしまった。 このまま手を離せば、アスランを起こすことになるだろう。 それだけは避けておきたかったので、しかたなくイザークも木に背をもたれさせ、アスランの頭を肩の方へと押しやった。 少々乱暴な扱いだったために起こしてしまったかと思ったが、アスランから洩れ聞こえる規則正しい寝息は変わることはなかった。 「ん・・・」 ふと隣から聞こえた声にイザークは顔を上げて隣のアスランを見た。 ゆっくりと開かれる瞳は、寝ぼけているのかぼんやりとしていて何も見ていないように思う。 現に、アスランは今自分の寄りかかっている状態だというのにその存在にも気づいてはいないようだから。 やはり、寝ぼけているのだろう。 「今、何時・・・」 「9時。とっくに寮の門限は過ぎているぞ、このバカが」 あきれたようにつぶやいてやれば、アスランは明らかに驚いた様子でこちらをみた。 「イザー・・・ク・・・」 「一体どれぐらい寝れば気が済むんだお前は」 あきれたようにつぶやいて、イザークは持っていた本をしまう。きまぐれにでも本を持ってきておいてよかった。でなければ、予想以上に長いアスランの睡眠にただぼーっと付き合う羽目になっていただろうから。 「どうして」 「貴様、それは本気で言っているのか?」 やはり自分の状態をよく理解していない。 本当に、こんなにぽ〜としたやつがどうしてトップなんて取ることができるのだろうか。 「ご、ごめんイザーク。その・・・」 「少しは解消できたのか?」 「え?」 「・・・眠れていなかったのだろう?」 どうしてイザークが知っているのか。 そんなことを問われるように、アスランの目が見開かれる。 まぁ、確かに普段アスランを邪険にしているイザークが知っていたのだから驚くのは無理はない。 こんなことをイザークに知られようものならば、絶対にそのことで嫌味を言われるのが落ちだ。 それなのに、イザークから発せられた言葉は心配するような感じで。 「あれだけぐっすり寝ている姿を見れば、想像は付きそうなものだ」 そういって立ち上がると、アスランもあわてたように立ち上がったのがわかる。 少し歩き出せばそのまま付いてくるだろうと思ったのだが、どうにもアスランはその場に突っ立ったまま動こうとはしなかった。 「おい」 「え?あ、何?」 「いつまでそうやって突っ立っているつもりだ?とっくに寮の門限は過ぎていると伝えなかったか?」 そういうと、やっとアスランは手元の時計で時間を確認している。
・・・こんなに、とろい奴だっただろうか?
「まずい・・・」 「早く戻るぞ。遅くなることはラスティを通じて許可を得ているはずだが、それもあまり長い時間は無理だろう」 「ラスティ?」 「貴様が殴っても叩いても起きないんでな。しょうがないから許可を取った、それだけだ」
うそだ。
本当は起こしたくなかった。あまりにも自分に寄りかかり眠っているアスランの表情が穏やかだったから。 しばらくの間、そのままでいたかったから。 「ありがとう・・」 「ふん。ほら、早く来い」 照れ隠しのように先を急ぐイザークに、今度はアスランも素直についてきた。 「ヴァイオリン・・」 「なんだ?」 「いや、イザークってヴァイオリン弾けたんだなって」 横に並ぶと、アスランはイザークの手にもたれているヴァイオリンケースを見る。 「幼少のころ、母上の進めでレッスンを受けた。これを生涯の仕事にしようとかは思ったことはない。だが、これを弾いて奏でていると不思議と落ち着く。お前は何かないのか?」 「何か?」 「自分が進んでやりたいと思うことだ」 そう問いかければ、アスランはきょとんとした表情で見返してきた。 ないのだろう、アスランには。何か打ち込めるようなことは。 だから、ストレスから来る不眠症にかかってしまった。 イザークが立ち止まると、一緒にアスランも立ち止まる。 「俺も、一時不眠症になった」 「イザークが?」 「お前と同じだ、自分に余裕が持てなかった。だからいろいろなプレッシャーに負けてしまったんだろう。今は気を抜くべきところを選べるようになった。このヴァイオリンもその一つだ」 「綺麗な音色だったもんね」 「お前も探せ、自分が自分で居られるものを。気持ちを落ち着かせることができる存在を」 そう言ってやれば、アスランの表情に少し変化が見られた。
アスランがこんなことで自分をつぶさないように。 なぜだか知らないが、イザークはそれを祈らずには居られなかった。
「ねぇ、イザーク」 「なんだ?」 「抱きしめていい?」 「・・・は?」 何を言い出すんだ?と思った瞬間、イザークはアスランの腕の中に抱き込まれていた。
一体何をするんだ!?
なんとか抜け出そうと試みるが、腕の力が強くて抜け出すことができない。 自分より若干だが身長が低いというのに、なんでアスランの腕に包まれているような感覚に陥らなければならないんだ? 困惑している頭とは裏腹に、ドキドキと鼓動が高鳴るのを感じる。 反射的にだがヴァイオリンケースを落としてしまったのに、今のイザークにはそのことさえも気づくことができなかった。 どうもがいてもアスランの腕から逃れられないと悟ると、イザークはふっと力を抜いてアスランに身を任せ、その背に腕を回した。 「・・・ごめん、ありがとう」 「もう、大丈夫なのか?」 「ん。多分。ねぇ、イザーク?」 「なんだ?」 「また・・・、ヴァイオリン聞かせてもらってもいいかな?」 アスランの言葉に、今度はイザークの方が驚く。
ヴァイオリンの音を聞かせろと・・。
なんでもない言葉のはずなのに、それがどうしようもなく嬉しかった。
「お前が、また限界になるようならな」
確証ともいえない、約束。 だけど、確かな二人だけの時間。
〜あとがき〜 前回のアスランverに引き続きの、イザークverでございます。 このときはお互いにライバル意識しかなかったのに、不眠症という共通点を見出してその内面も知るようになる。 そして惹かれあっていく・・・というのを書きたかったのですが。 前回のアスランverはアスイザではなく「アス+イザ」といわれてしまったので・・・。 なんとか、これでアスイザに見えたらいいなぁと思う今日このごろです |