「ありがとうございました」

そう言ってアスランは医務室を出た。

しばらく歩いて周りの人の姿がみえなくなると、アスランは先ほどもらったばかりの薬袋を取り出した。

「やっぱり、これの世話にならなきゃいけないのか」

そうつぶやいて、深いため息を零す。

その中身は睡眠薬。

アスランは、ここ何週間か、眠れぬ日々をすごしていた。

いわゆる、不眠症というものらしい。診断によれば、過度の精神的ストレスと疲労が原因だという。

コーディネーターがいくら優れた存在でそのために成人するのが早いといっても、実際はまだ14歳でしかなく、精神的にはまだまだ未熟。

そのため、特にアカデミーに通う学生の中ではよくノイローゼ状態になる生徒もいるのだ。

それが原因で去るものも少なくはない。

そうでなくても、アスランは日ごろからすさまじいプレッシャーの中で毎日をすごしている。

パトリック・ザラとして、トップとして。

挫折することは許されず、どんなに難しいことでも確実にクリアすることを要求される立場。

普段それが当然のことだとは思っていても、やはり見えないところにいろいろなものが溜まっていくらしい。

「・・・・音色?」

はっきりとしない頭のまま歩いていたアスランはいつのまにかアカデミーの校舎裏にある裏庭へと脚を踏み入れていた。

ふと、どこからか静かな音が聞こえてくるような気がした。

 

高く、澄み切った響く音。

 

アスランは、それに引き込まれるようにしてそちらへと歩いて行った。

普段、あまり足を踏み入れることに縁のないこの場所。

その為なのか、ここは庭というよりも一つの小さな森林と言っていいだろう。

大きな木がいくつも植えられており、草木は青々と茂っていた。

生徒のうちでもここに来る人間は限られているだろう。

より優秀であることを強要されている毎日で、こんなところで安らぎを得ようとする人間はこのアカデミーでは少ない。

皆、休息時にはこういう場所ではなく、体を思い切り動かしてストレスを解消したり、より能力を高めるためにと図書館やジムへ向かう。

初めて足を踏み入れるような足取りで、アスランはゆっくりと森林の間にある遊歩道を歩いていた。

きちんと手入れはされているらしく、自然ななかにもやはり人の手が加わっていることを感じる。

少しずつ近づいているのか、その音色はだんだんとはっきり聞こえるようになって来た。

 

これは・・ヴァイオリン?

 

楽器とはあまり縁のないアスランだが、これがヴァイオリンの音色というのはわかった。

なんの邪心もないような、澄み切った音。

何か音楽を奏でているように思うが、それが何かはっきり聞き取ることはできない。

 

この森の、一番奥なのだろうか?

丸く広場のようになっている場所の中心に、ヴァイオリンの音・・・・演奏者がいた。

その姿を見て、アスランは少々目を見張った。

 

イザーク・・・

 

心の中で、そうつぶやいた。

自分に背を向けたまま、森林の隙間から零れ落ちる光のスポットライトの下、静かに誇り高く、それでも優しく演奏している彼の姿があった。

 

イザーク・ジュールの姿が。

 

「イザー・・・・」

 

声をかけようとして、やめた。

きっと、今自分が声をかければイザークは演奏をやめてしまうだろう。

それどころか、自分がこの場所に居ることを嫌い、すぐに立ち去ってしまうからもしれない。

本当なら、すぐにここをはなれた方がいいのかもしれない。彼の演奏を邪魔してはならないと思うから。

だが、アスランはヴァイオリンの音色と、その音をつむぐイザークの姿に魅入られたようにその場を動くことができなかった。

 

もっと、聞いていたい。

その姿を、見ていたい。

 

そう考えたアスランは、イザークからは死角になるような木の根元に腰掛け、彼の背中を見つめた。

時に激しく、時に穏やかに。

イザークの紡ぎだす音色は、不思議とアスランの心の中に無意識に引っかかって絡まっていた糸をゆっくりと溶かしてくれるように感じた。

これまで感じたことのないような、安らぎ。

気が付けばアスランは、その音に誘われたように訪れた久しぶりの眠気に、ゆっくりとその身を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん・・・・」

どのくらい眠っていたのだろうか。

アスランが目を開いた先は、記憶に残っているものとはまったく異なっていた。

あれだけ光が溢れていた木々は、ひっそりと眠っているように静かで。

先ほどイザークがスポットライトのように浴びていた天からの光も、今は月光へと変わってしまっていた。

「今、何時・・・」

「9時。とっくに寮の門限は過ぎているぞ、このバカが」

いきなり横から聞こえてきた声に、アスランは目を完全に覚ましたかのように開き、横にいる存在へと目を向けた。

「イザー・・・ク・・・」

「一体どれぐらい寝れば気が済むんだお前は」

あきれたようにため息をついて、イザークは手元に持っていた本を閉じた。

今日は満月。

月明かりだけで本を読めるほど、ここは明るかったのだといまさらながらに気が付く。

「どうして」

「貴様、それは本気で言っているのか?」

きょとん、とイザークが何を言ったのか分からなかったが、ふと、先ほどまで自分がとっていただろう体制を思い起こす。

「あ・・・」

自分の頭をイザークの肩に預け、自分は眠っていた。

「ご、ごめんイザーク。その・・・」

「少しは解消できたのか?」

「え?」

「・・・眠れていなかったのだろう?」

アスランは目を見開いた。

どうして、彼がそんなことを知っているのだろうか。

普段、何かとアスランのことをライバル視しているイザークの口から、そんなアスランを気遣うような言葉が出るとは思わなかった。

それにアスランは日ごろ、不眠症ということを悟られないように行動している。

普段から一緒に居ることの多いニコルやラスティにさえこのことは伝えていないのだ。

「あれだけぐっすり寝ている姿を見れば、想像は付きそうなものだ」

そういって立ち上がったイザークにつられて、アスランも立ち上がる。

月光が反射して、イザークの銀髪が綺麗に輝く。

その美しさに、アスランは知らずに息を詰める。

普段何気なく目にする姿だというのに、周りの風景が違うだけでこうも別のものに見えてしまうものだろうか。

「おい」

「え?あ、何?」

「いつまでそうやって突っ立っているつもりだ?とっくに寮の門限は過ぎていると伝えなかったか?」

改めてそういわれて、アスランは手元の時計を見る。

イザークの言うとおり、アカデミー付属の寮の門限時間はとっくに過ぎてしまっていた。

これ以上遅くなれば、消灯時間にすら間に合わないように思う。

「まずい・・・」

こんなことになるとは思わなかったので、あたりまえだが寮には何も届出を出してはいない。

このままでは二人とも罰則は免れないだろう。

そこで、ふと二人?というので不思議に思う。

なぜ、規則を破ることになると分かっているのに、イザークは自分の側に居てくれたのだろうか。

「早く戻るぞ。遅くなることはラスティを通じて許可を得ているはずだが、それもあまり長い時間は無理だろう」

「ラスティ?」

「貴様が殴っても叩いても起きないんでな。しょうがないから許可を取った、それだけだ」

「ありがとう・・」

「ふん。ほら、早く来い」

黙って前を歩くイザーク。

その手には、昼間みたヴァイオリンらしきケースを持っていた。

「ヴァイオリン・・」

「なんだ?」

「いや、イザークってヴァイオリン弾けたんだなって」

「幼少のころ、母上の進めでレッスンを受けた。これを生涯の仕事にしようとかは思ったことはない。だが、これを弾いて奏でていると不思議と落ち着く。お前は何かないのか?」

「何か?」

「自分が進んでやりたいと思うことだ」

自分がやりたいとおもうこと?

毎日が精一杯ですごしているアスランにとって、そんな余裕は少しもなかった。

アスランも気づいていないどこかで、自分を殺していたのだろうか。

そんなアスランの様子に気づいたのか、イザークはアスランの横に並ぶと立ち止まって空を見上げた。

「俺も、一時不眠症になった」

「イザークが?」

「お前と同じだ、自分に余裕が持てなかった。だからいろいろなプレッシャーに負けてしまったんだろう。今は気を抜くべきところを選べるようになった。このヴァイオリンもその一つだ」

「綺麗な音色だったもんね」

その言葉に、イザークはふっと笑む。

「お前も探せ、自分が自分で居られるものを。気持ちを落ち着かせることができる存在を」

そう言って笑うイザークの顔は、

 

これまで見た中で、一番美しかった。

 

 

「ねぇ、イザーク」

「なんだ?」

「抱きしめていい?」

「・・・は?」

イザークの返事を待つことなく、アスランはその見た目よりずいぶんと華奢な体を抱きしめた。

その拍子にイザークが持っていたヴァイオリンが静かに倒れる音がしたが、それにかまうことなくアスランはぎゅっと抱きしめた。

最初は戸惑ったかのように拒んでいたイザークも、あきらめたように力を抜くとゆっくりとアスランの背中に腕を回した。

「・・・ごめん、ありがとう」

「もう、大丈夫なのか?」

「ん。多分。ねぇ、イザーク?」

「なんだ?」

「また・・・、ヴァイオリン聞かせてもらってもいいかな?」

 

その美しき音色を。

その美しき姿を。

 

「お前が、また限界になるようならな」

 

 

 

確証ともいえない、約束。

だけど、確かな二人だけの時間。

 

 

 

 

数日後、イザークの部屋に小さなペットロボットが送られた。

普段難しい表情しか表にださないイザークが、そのペットロボットを見る目だけは、どこか優しげであったという。

 

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

久々のリクエストじゃない小説です。

アスイザのつもりで書いたんですけど、見ようによってはイザアスにもアス+イザにもみえてしまうという困った作品に・・・。

で、でも私はアスイザで書いたつもりですよ?

この後UP予定のイザークバージョンを同時に読んでいただければ、恐らくは納得してもらえるかと(言い訳)

それでは、少しでも楽しんでやってくださいませ