「あの・・・イザーク?」

「なんだ?」

イザークにお酒を注ぎながら、キラは少し迷うような声色で恐る恐る呼んだ。

「えっと・・・あの・・・」

「キラ?」

言いにくそうに言葉を濁すキラに、イザークは首をひねる。

そういえば、今日自分が来たときからキラは何かそわそわしているかのように様子がおかしかったように思う。

とはいえ、キラが言いたいことがなんなのか、イザークには今のところわからない。

「どうした?何か困ったことでもあるのか?」

どちらかといえば、キラはストレートに自分の悩みを口にすることはめったにない。

それこそ、イザークがたずねない限り。

イザークにしてみれば、キラが何かを悩んでいたりすれば態度で分かる。だが、今回は何かを悩んでいるというのも違うようだ。

「あの・・・ね・・・、えっと・・・」

「・・・・・」

目をキョロキョロと泳がせて、話す言葉を捜しているようだ。

よほどそれを話すことに緊張しているのか、キラが握っている両手は白く、小刻みにふるえていた。

その両手を包み込むように、イザークはそっと手を伸ばした。

「あ・・・」

「何があった?いってみろ」

キラの瞳をじっと見つめる。

それだけで、キラの体から少しずつ緊張が溶け出していくのが分かった。

それでも少し悩んだようだが、キラはまっすぐにイザークの視線を捕らえるとこういった。

「イザークに、謝らなくちゃいけないことがあるの」

「謝らなければならないこと?」

「うん・・・」

そういうと、キラは一端その場を離れ、文机の引き出しからなにやら取り出して戻ってきた。

キラの手にぎゅっと包まれているもの。

キラはそれを、イザークへと差し出した。

イザークが手のひらを差し出すと、キラはその上に一つの小さなものをおいた。

 

 

シンプルな、シルバーの指輪だった。

 

 

「これは・・・」

「イザークのもの、でしょう?」

あの日、初めてイザークとあった次の日の朝、枕元に落ちていたシルバーリング。

すぐにイザークのものだと分かっていたのに、キラは今までずっと自分の手に持っていた。

最初はすぐに返そうと思っていた。

でも、あのあといろいろがことがあって返しそびれてしまい、またイザークがこない日はこれがあるだけでなんとなく安心して眠りに付くことができた。

キラにとっては、お守りのようなものになっていたのかもしれない。

ずっと返そうと思って、それでも返すことができなかった。

恐る恐るイザークの反応を見れ見れば、イザークはそれをじっと見つめたまま何もいってはこなかった。

てっきり、どうして黙っていたのだと怒られると思っていたのに。

「イザーク?」

「ん?ああ・・・すまん」

苦笑をこぼしながらイザークはキラへと向き直った。

「てっきりなくしたとばかり思っていたものだったからな。正直、手元に戻ってくるとは思わなかった」

「ごめんなさい。僕がすぐ返せばよかったのに・・・」

「いや。他の奴らならばともかく、キラならばぜんぜん問題はない」

そういって、イザークはキラの髪を梳いてくれた。

それが、キラにはとても優しくて。

また、その指輪がイザークにとってどういうものか、とても気になった。

 

 

 

 

 

「それで、どうしたの?」

「それきり、イザークはその指輪のことを何も言わなかった。ただ、とても大切なんだってことは僕でもわかったよ」

 

数日後の夜。

あの日から二人の元にイザークとディアッカは訪れていなかった。

仕事が押していて、こちらに来る時間が作れないということは聞いた。

忙しい合間を縫って、それでも一日に1度は必ずTELをくれる。

今日もお互いに無理だというTELをもらい、時間をもてあました二人はミリアリアの部屋で静かにお茶を飲んでいた。

 

そして、話は例の指輪のこと。

 

あの指輪を見るイザークの瞳はとても優しくて。

今まで見たこともないような・・・、そんな瞳で。

今まで、あんなに愛しいものに感じていたあの指輪が、そのときだけは嫌だった。

今イザークと一緒に居るのは自分なのだから、僕だけ見ていて・・・と。

けれど、そんなことを考えてしまう自分が、とても情けなかった。

「だって、胸がもやもやするんだもん。あの指輪を見ているイザークを見ると、なんか・・・分からないけど変な気持ちになる」

「そう・・。キラ、それを世間一般でなんていうか知ってる?」

「え?」

「嫉妬っていうのよv」

 

嫉妬・・・?

 

一瞬、ミリアリアが何を言っているのか分からなかったが、その言葉を理解した途端、キラの顔は真っ赤に染まった。

「な、何をっ」

「だって、そうでしょ?イザーク様が自分を見てくれないと嫌だっていうのはつまり独占欲。キラは指輪の存在に嫉妬したのね」

「そ、そんなんじゃ・・」

 

 

そんなんじゃない・・、きっと・・・。

だって、こんな感情はイザークの負担になってしまうから。

自分にはイザークを縛る権利などありはしない。キラはずっとそう思ってきた。

会いたい時に、会いたいといえない。

声が聞きたいときに、自分からTELできない。

もしイザークが迷惑に思ったら、彼に負担を掛けるようなことになって自分を嫌いになったら・・・。

そう思うと、ひたすらキラは待ち続けるしかなかった。

 

「キラ」

キラの考えを読み取ったかのように、ミリアリアはキラの肩を抱く。

「いつもってわけじゃないけど、たまには自分の正直な気持ちを相手に伝えることも大切なのよ」

 

自分の、気持ちを・・・・

 

 

 

 

 

次の日の夜、キラは自室で夜空を眺めていた。

ミリアリアは日中ディアッカから今日は来るという連絡をもらったそうだから、部屋にいる。

恐らくはもう来訪している時間帯だろうか。

一方、イザークからは何も連絡はない。

いつもたずねてくる時間はとっくに過ぎている。恐らくは今日も来ないのだろう。

「きれいだなぁ・・・」

ぼんやりと浮かんだ月を見て、キラは一言つぶやいた。

「そうだな」

「・・・っ!?」

自分のつぶやきに答える声に、キラはあわてて背後を振り返った。

そこには扉に寄りかかったイザークがじっとキラのことを見つめていた。

「・・・イザーク・・・・」

「もういいのか?ずいぶん長い間月を眺めていたが」

ということは、イザークはずっとそこに立っていたのだろうか。

そして、自分はイザークに気づかないまでに考え事にぼっとうしていたのだろうか。

ゆっくりとイザークがこちらに近づいてくる。

薄暗い部屋の中から、月明かりでまぶしいぐらいに明るい窓辺へと近づいてくる。その様子をキラは何か神聖なものを見るかのようにじっと見つめていた。

キラの側にひざまずくとボーっとした様子で自分を見上げているキラと視線を合わせた。

「久しぶりだ。元気だったか?」

「・・・うん。イザークは?」

「ちょっと疲れたかな。さすがに仕事をつめすぎたか」

そういって苦笑をもらす表情は、確かにどこか疲れを残しているようで・・・。

それなのにイザークはキラに会いに来てくれた。

それが、とてもうれしかった。

イザークはキラのすぐ横に腰を下ろすと、いつものようにキラの髪へと手を伸ばしてきた。

イザークはキラの髪を梳くのが好きらしい。会ったらまず髪を梳いてそっと体を抱きしめてくれる。

キラもその瞬間が好きだった。

イザークのすべてに満たされているような気分になれるから。ここに、イザークがいるのだと感じることができるのだから。

 

だけど・・・、今日はそうはならなかった。

 

 

「・・・っ!?」

 

 

イザークの伸ばしてきた手を、キラはとっさに払いのけてしまった。

「キラ?」

咄嗟のことに、イザークも驚いたような声を上げる。

それも当然だろうと思うが、キラにはそんなことを判断している余裕はなかった。

 

原因は、イザークの指。

細くて、白くて・・、でも何よりも力強いことをキラ自身が知っているイザークの手・・指・・・。

その指に、見つけてしまったのだ。

 

あの、シルバーの指輪を。

 

それを見た瞬間、キラはまた以前感じたような、自分でも理解できない感情が胸の中に渦巻いているのを感じた。

顔を上げることができない。

 

きっと、今すごい顔をしている。こんな表情をイザークに見せることなんて・・・。

 

 

一方、手を払われたイザークはキラのいきなりの態度に眉をひそめる。

いつのもキラらしからぬ行動に、イザークはただただ呆然とするばかりだ。

しかもその表情はうつむいていて見えず、キラがどうしてこのような行動をとったのかさえ分からない。

「どうした、キラ?」

名前を呼べば、ピクリと肩を震わせる。

頬に伸ばした手を今度は振り払われなかったものの、キラはうつむいたまま顔を上げようとはしなかった。

「キラ、顔を上げろ」

「・・・・・だめ・・・」

「なぜだ?」

「だめ・・。今、イザークに顔、見せられない・・・」

そういって、自分の頬に添えられているイザークの手をそっと離した。

その手とキラを交互に見合ったあと、イザークは深いため息をついた。

「わかった。今日は帰る」

「・・・・・・」

「せっかくキラに会いに来たのに、顔も見れないのではな」

「・・・・・・」

そこまで言っても、キラは顔を上げようとはしなかった。

ゆっくりとイザークが立ち上がって入り口へと歩き出し、パタンと扉が閉まる音がする。

だが、それでもキラは顔を上げることができなかった。

 

 

 

 

 

「・・・ッ・・・ふ・・ぅ・・・・・え・・・・・」

うつむいたキラの口から、嗚咽が漏れる。

ポツリ、ポツリとキラの頬を伝う涙が膝の上へと流れ落ちた。

こんな自分は嫌い。

イザークを困らせて、自分の感情さえ自分でコントロールできない。

「・・でも、・・・いえない・・・もん・・・・」

 

けして、言ってはいけない。

 

「・・・僕だけ・・・見、なん・・て・・・、いえない・・もん・・・」

イザークに見ていてほしくて、あんなものにまでものにまで嫉妬して。

あの指輪をはめている指で触れてほしくなくて、その手を振り払って・・・。

 

絶対、嫌われた・・・。

 

だから、彼は帰ってしまったのだろう。

「好き・・・なのに・・・・」

大好きなのに。

ずっと、イザークの側にいたいのに・・・。

でも、それは適わない。

適うわけがない。

だって、今のキラはこの遊戯屋の中から出て行くことはできない、籠の鳥も同じだから。

こんなことを、口に出してはいけないんだ。

理解しているはずなずのに、悲鳴を上げるこころ。

 

そのキラの心を読み取ったかのように、暖かい腕がキラの体を包み込み、力強く抱きしめた。