ここは遊戯屋と呼ばれる女郎宿。

いわゆる、男が女を一晩買う店だ。

だが、この店は普通の女郎宿とは少し違うところがある。

それは、男が女を買うだけじゃなく、女が男を買うことができれば、男が男を買うこともできるからだ。

あらゆる女郎宿が集まるこの界隈の中でも一番の老舗である遊戯屋。

今日もあらゆる客が出入りしている。

彼も、またその一人であった。

 

 

 

 

この日も、一人の客が遊戯屋の敷居をまたぐ。

名家と呼ばれているジュール家の跡取り、イザークだ。

イザークに気づいた店主が、急いでイザークの元へと近寄ってきた。

「これはこれはジュール様、よくおいでくださいました」

「邪魔をする」

「今日は女を買いに?それとも別のご用件で?」

ずらりと居並ぶ娼妓達をイザークは順に眺める。

どれも熟練しているような男と女ばかり。

両刀として知られているイザークに抱かれたがるものはたくさんいる。容姿端麗、頭脳明晰。なにより名家の跡取りを虜にしてしまえば、何かとあとで有利になることが多い。

だが、イザークはそんな連中には飽き飽きしていた。

私利私欲のためにイザークに近づいてくる奴などいくらでもいる。

イザークにはその相手が一晩の恋を望んでいるのか、はたまた別のことを望んでいるのかぐらいを読み取ることはできる。

ふと、イザークは一番端に座っている人物を見た。

他の娼妓とは違って、自分を見ようともせずにただ俯いてじっと床を見つめている。

「店主、あれは?」

「あれ・・でございますか?ああ、あの子は今日から表に出ることになった子で、イザーク様のお相手をできるほどでは・・・」

俯いているために表情は分からないが、長めの茶髪が嫌に色っぽい。

それに何か物悲しい雰囲気が伝わってくる。

「・・・・・・あれにする」

「は?」

「今日の相手はあれだ。文句はないな、店主」

「いや、しかし、ご満足いただけないかと・・・」

「俺があれにすると言ったんだ。いいな?」

「・・・承知いたしました。いつものお部屋でお待ちください」

 

 

 

 

 

イザークはいつも通されている部屋へと入り、準備されている酒を一人飲んでいた。

遊戯屋の一番奥の部屋に当たる、身分の高い者だけが使用を許される部屋。

しばらくすると、遠慮がちに扉が叩かれる音がした。

「入れ」

声を掛けると、おずおずと入ってくるのは先ほどの娼妓。

相変わらず俯き加減で、うまく表情が見えない。

たたみに手をついて、深々と頭を下げる。

「ほ、本日は、ご指名いただいて、ありがとうござい・・・ます」

「ああ」

そのまま頭をすっと上げると、イザークの差し出した杯に酒を注ごうと銚子に手を伸ばす。

だが、それを手に取る前に手首を捕まえられてぐいっと引っ張られる。

その弾みで、銚子の中に入っていた酒が零れ、杯は取り落とされてしまった。

「あっ・・・・」

「顔をよく見せろ」

間近に持ってきた最初の印象は深いアメジストの瞳。

吸い込まれそうで、澄んでいるその瞳にイザークは一瞬引き込まれる。

頬にかかる長めの茶髪をかきあげると、もっとよく見ようと顔を近づける。

「あ、あの・・・ジュールさま・・・・」

「お前、名は?」

「・・・・・・・キラ、と申します」

恥ずかしいのか、キラは顔を見られないようにと俯く。

それを許さないとでもいうように、イザークはぐいっとキラの顔を上げさせる。

不安があるのか、抱き込んだ体は小さく振るえ、覗き込んだ瞳は潤んでいた。

こういう態度が一番客を喜ばせるということを知っているのか?

それとも、地でやっているのか。

「キラ、か。いい名だ」

「あ、ありがとうございます」

「もう少し、こちらへ」

キラが動こうとする前に、イザークは掴んでいるキラの体を救い上げ、自分の膝の上に乗せる。

そのあまりの軽さに、イザークは少々目を見張った。

着物の上からでも細いとは思っていたが、これほどまでとは。

対するキラはどうしていいものか分からないように、イザークの膝の上で固まってしまった。

不安そうな瞳で、イザークを見上げる。

「今日が初めて、ということだが?」

「は、はい。今までは裏方だったので・・・・。今日から娼妓として働くことに・・・」

「目が赤い。誰かに泣かされたか?」

上手く化粧で隠れてはいるが、キラの瞳は確かに泣いた後のように赤く、瞼も少しはれている。

そこに手を伸ばして触れれば、キラの体が大きく震えるのが分かった。

どうにかして離れようとするキラだが、その抵抗もイザークの前では無意味に終わる。

緊張しているのか、それとも怖いのか。

わからないことはあるが、それでも何かに恐れているのは確かだ。

「なにをそんなにおびえている?」

「っ!?」

「見れば分かるさ。体を震わせて、拒否するような態度をとられればな。しかし、おまえは娼妓だろう?」

「僕だって、好きで娼妓になったわけじゃ」

「だが、お前は今ここにいるのだろう?お前は、お前の役目を果たさなければならない」

役目・・・・。

それを聞いた途端、キラの体が大きく震えるのが分かった。

娼妓の役目・・・。それは相手に抱かれること。

望まない相手であろうと、料金をもらうだけの仕事はしないといけない。

それは、キラにも十分分かっている。

けれど、怖いものは、怖い。

嫌なものは、嫌なのだ。

それも、自分が望みもしない相手ならばなおさら・・・・。

自分の考えに没頭してしまっていたキラは、ふと、自分の頭を撫でられる優しい感覚に気づいた。

はっとして見上げれば、イザークが微笑んでキラの髪を撫でてくれている。

それは、とても気持ちがよくて。

こんなに安心できるのは、どのくらいぶりなのだろうか。

「すまない、初めてだというのに、きついことを言ったな」

「い、いえ・・・・」

急に優しくされると、どうしていいか分からなくなる。

でも、イザークの笑っている顔をずっと見ているのは、なんというか・・・照れてしまって。

キラは赤くなっているであろう自分の顔を隠すために、抱き込んでくれているイザークにしがみついた。

そのまま、ゆっくりと時が流れる。

ずっとこうしていたいような、こうしていて欲しいような気がする。

 

 

 

 

「どうして、裏方だったお前が表に出てきたんだ?」

ふと、イザークが気づいたようにキラに問いかけた。

「僕・・・ここの娼妓の方に拾っていただいたんです。家が火事で焼かれてしまって。よく覚えていないんですけど、この遊戯屋の娼妓をしていたマリューさんに拾っていただいて・・・」

「マリュー?」

イザークが記憶をたどると、確かにそんな娼妓がいたことを思い出す。

彼女とは一夜を過ごしたことはない。

正確には買ったことならばあるのだが、話をしている方が楽しくて、結局抱くことはなかった。

色気を感じさせてイザークに抱かれようとする娼妓達とは違って、マリューはなぜか側にいるだけでホッとするような、そんな娼妓だった。

「彼女か」

「知っているの?」

「ああ。俺も何度か夜をともにした。結局抱くことはなかったが・・・。そういえば、最近は彼女に会わないな。どうしている?」

「・・・・・・・・マリューさんは、亡くなりました」

「なっ・・・」

キラがそっと顔を上げれば、その瞳からは大粒の涙が一筋、二筋と流れ出す。

「マリューさんは、先日病気で亡くなられました。でも、最後まで僕には笑顔を見せてくれて・・・。最後に、僕に会えてよかったって言って・・・・っ」

嗚咽をこらえるようにしてただ涙を流すキラを、イザークはきつく抱きしめた。

こうも泣くことがへたでは、その悲しみはずっとキラの中へと残ることになるだろう。

おそらく瞳が赤いのもそのため。

キラは、おそらくマリューが亡くなってから、毎晩泣いていたのだろう。

「泣け、キラ」

「・・・・・・・・」

「思い切り、声を上げて泣け。大丈夫、俺がここにいてやる」

「ふ・・・・ぇぇ・・・・・ん・・・・・・」

キラはイザークに抱きついて、思い切り声を上げて泣いた。

今まで吐き出せなかった思いを、ただ思い切り吐き出すためだけに。

そして、今は亡きマリューのことを決して忘れないために。

イザークもキラを抱きとめながら、ひたすらにマリューの冥福をただ、祈った。

 

 

 

 

 

 

 

「ん・・・・・・・」

キラは、窓から差し込まれる光がまぶしくて目を覚ました。

「朝?」

ふと、キラは自分の体を抱きしめている腕に気づいた。

ぼんやりとそちらを見れば、まだ眠っているイザークの顔があった。

その瞬間、キラは自分の今の状況と、昨日のイザークとの会話を思い出した。

初対面の人に対して、なんて態度だったのだろうと反省する。

でも、それ以上に妙にすっきりしている自分に気づいた。

昨日思い切り泣いたことで、少しずつマリューの死に対する受け入れができてきたのかもしれない。

「んん・・・・・・」

不意にイザークから洩れた声に、起こしたのかもしれないと思ったが、イザークが起きるようなしぐさはなく、より強い力でキラを抱きしめた。

「綺麗・・・・・」

朝日に反射しているイザークの銀髪と、瞳を閉じているイザークの顔がひどくまぶしく見えた。

こんなに綺麗な人は、今までキラはみたことがなかった。

「お前のほうが綺麗だと思うが」

ふいに聞こえてきたイザークの声に、キラは目を見開いた。

「お、起きて・・?」

「今起きた。おはよう、キラ」

「お、おはようございます」

イザークはまだ眠そうに目をこすると、じっと見つめてくるキラの額にちゅっと口付けた。

いきなりのことに、思わずキラは赤面してしまう。

そんなキラを見て楽しそうに微笑むと、イザークは自分の体を起こし、一緒にキラの体を起こした。

「ああ、やはり腫れてしまったな」

キラの瞼を撫でるようにそっと触れる。

昨日どれだけ泣いたのか、キラ自身あまり覚えていなかった。

ただ、イザークのくれるぬくもりと優しさに、とても安心できたことははっきり覚えている。

「あの・・・、昨日はごめんなさい。迷惑・・・でしたよね」

「いや、キラのかわいい泣き顔を見れただけで、よかったよ」

そういって、またキラの瞼にキスを落とす。

そのとき、遊戯屋の中に静かな鐘の音が鳴り響いた。

それは、夜の勤めの終わりを意味する、鐘の音。

「終わりか・・・」

「ええ」

もっと、キラとともに、イザークとともに居たいのに。

イザークはしかたない、という風に立ち上がり、壁に掛けてあった上着を取る。

キラもそれを手伝うために立ち上がった。

廊下がなにやら騒がしくなってきた。

一度に客が帰るために、そして、客を見送るために娼妓が出てくるためだ。

すっかり身支度を整えたイザークは、ふと、部屋の入り口近くで立ち止まった。

「ジュール様?」

「いや、なんでもない。また、来るから」

そういって、最後というようにキラの細い体を再び抱きしめた。

そっと腕を放すと、見送りはいいから、とだけいい一人帰っていった。

 

 

「お待ちしております・・・・」

 

 

もう一度、イザークに会える日を、キラはただ望んだ。